大阪ライオンズクラブ草創期の歴史
大阪ライオンズクラブは1953年4月16日呱々の声を挙げた日本第4番目のクラブである。ライオンズクラブ史上稀に見る光栄ある且つ祝福されたスタートとして、遥々シカゴ国際本部から国際会長エルバート夫妻を迎えた発会式であり、また栄あるスポンサークラブの神戸ライオンズクラブのチャーターナイトと同日という良き日でもあった。
集まるもの僅か20名足らずのささやかな発会式ではあったが、その頃何人が今日の隆昌を夢見たものがあったであろうか。
晴れのチャーターナイトは発会から3ヶ月後の1953年7月22日午後7時30分から新大阪ホテルで挙行された。チャーターナイト委員長Lジェイ・ビー・マーティン(米国総領事)の開会のことばに始まり、君が代斉唱のあと、インターナショナルチャーターは302地区初代ガバナーL石川欣一(東京クラブ)から会長L進藤竹次郎に伝達された。
大阪ライオンズクラブ発会式の模様を知る者は、今や殆どなく、而も記録とてなく、この写真1枚のみで、僅かに出席者の記憶に残るだけとなっているが、将来のレコードとして残すためにも、若干のことは述べて置いた方がよろしかろう。
当日1953年4月16日午前11時、新大阪ホテル2階西北隅の1室には、遥々米国から参加した国際会長エルバート夫妻を中心に、20名 足らずの新会員といった顔ぶれがあった。
通常、国際会長が1クラブの発会式に出席する事はないが、当時シカゴ国際本部がいかに日本を重要視していたかが窺える様であつた。
発会式はL青木の司会で先ず会長、幹事の選挙、といってもお互いに知らぬ間、司会者の指名で差し支えありませんか、異議無し、では会長進藤竹次郎、幹事坂田一夫を指名します。ご賛成の方は拍手を願います。僅か5分間で発会式、会長、幹事の選挙?が決定したのである。エルバート会長はこんな素晴らしいスピーディな発会式は初めてだと驚嘆された。其の後、会長、幹事正座に付き祝杯というわけで、ささやかではあったが前途ある華々しいスタートが切られたのであった。
チャーターナイトは1953年7月22日午後7時30分より新大阪ホテル5階のホールで、大阪府知事、大阪市長、商工会議所会頭、各国総領事をお迎えして、華やかに挙行された。 そして、302地区初代ガバナーL石川欣一(東京クラブ)から会長L進藤竹次郎にチャーターが伝達され、ついで、晩餐会に移り、天満宮天神講有志による祝い獅子舞、法村康之、友井唯起子のバレーをアトラクションにチャーターナイトの喜びを語り合った。最後にライオンズの歌を合唱、外国パーティーの例にならってダンスにひと時を過ごし閉会した。
大阪ライオンズクラブがホストの第2回302地区年次大会は1956年4月6日〜8日の3日間、大阪市で開催された。参加クラブは8クラブ259名、全国のライオンズが参集して浪華の地に高らかにライオニズムの意気を示した。ガバナーはL進藤竹次郎、大会委員長はL廣瀬省三、ホストクラブ大阪クラブの会長は3代目会長L石田であった。
第1日目の6日は猪名川ゴルフクラブで親善ゴルフが開かれ、7日は新大阪ホテルで10時から食事時間を除き、文字通り終始熱心な協議が続けられ、次期ガバナーをL高橋貞太郎(東京クラブ)とし、ホストクラブを東京クラブとする、などの大会決議を行なっている。
いっぽう、議事に参加しない大会参加者は11時から大阪駅前及び大阪城前に記念植樹を行なった。
8日は9時から奈良方面のエクスカーションを楽しみ、大阪に帰って文楽座の人形浄瑠璃観賞など行い、21時大会の幕を閉じた。
1962年5月10日〜13日の4日間、第8回302W1地区年次大会は大阪市で開催された。大阪ライオンズクラブがホストして主催する年次大会はこれが2回目でした。これに就いては次回に述べる事にします。
大阪ライオンズクラブでは伝統の例会スタイルがあります。毎回例会には必ずゲストスピーカー迎えて講演を聞き、メンバーの啓蒙研修を、結成例会より約50年近く実行しています。この事も当クラブの誇る歴史であります。(編集、L成川洋一郎)



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